【禅語】無縄自縛:自らの縛りや思い込みから自由に

GWは高知の田舎暮らしを楽しむ友人宅にお世話になり、毎日のように地鶏ちゃんにジブリッシュで話しかけてみました。

まだ大人ではないそうで、ピヨピヨという鳴き声。
目をぱちくりして色々な方向に首を傾げながら、私の話しに耳を傾けてくれました。

今までの人生でこんなに近くで鶏をじっくり見たことがなかったのですが、首筋を撫でてあげると、うっとりと目をつぶったり、とっても可愛い。
子供の頃に飼っていたインコと同じではないか!こんなに鶏が可愛いとは知りませんでした。

玉子を温めてヒナから大事に育ててきた友人にとっては、可愛い子供たち。
私は飼い猫に頬ずりしますが、友人は地鶏ペアを左右の手に一羽ずつ抱えて頬ずりしていました(笑)。

鳥の脚が爬虫類みたいで気持ち悪い、と思っていた私はなんだったのだろう、と考えました。

学生の頃、仲良しの女子が極端に鳥嫌いで、ハトがいると逃げまわりながら、鳥の気色悪さについてよく話していたので、私の潜在意識に「鳥は気持ちが悪い」と刷り込まれていたのかもしれません。

鶏がこんなに可愛いとは。脚のひび割れや鋭い爪、強力なくちばしも、気持ち悪いとか恐ろしいとか思えばそう見えます。

でも、ジブリッシュで「可愛いね~」「仲良くなれるかな~」「よろしくね~」「話を聞いてくれてありがとね~」と愛の気持ちを囁きながら見ていると、だんだん可愛らしくみえてくるから不思議なものです。

無意識のバイアスで、私は鶏は可愛くない、ちょっと怖い、と思っていただけでした。

生き物同士の会話をジブリッシュでしていると、鶏という生き物への共感が芽生えてきたのかもしれません。
生まれてきたらこんな脚だっただけで、気持ち悪いとか言われたら嫌だよね~。

鋭い爪は食べるものを土から掘るのに必要で、人間を攻撃するためについてるわけじゃないのに、怖いとか言われたら嫌だよね~。

そんな風な対話をしていると、だんだん自分の価値観が変わっていきました。

決めつけずに、あるがまま、そのものの本質を見つめていくと、苦手なものは減り、嫌いなものも減り、なんでもOKで楽しくて嬉しいものばかり、愛に溢れたものばかりが存在する世の中があるのかもしれないと思います。

それを悟りの境地と呼ぶのかもしれません。

歳を重ねて経験が増えると、どんどんその境地に近づいて、楽になって、楽しいことが増えていくな~と感じます。

さて、今週の悩みがスッと消える禅語の習慣★笑顔になる健康体操のテーマは「無縄自縛(むじょうじばく)」です。

「無縄自縛」とは仏教用語で見えない縄で自分自身を縛ってしまっている状態、「迷者は迷いに、悟者はさとりにとらわれて、自由になることのできない状態をいう」そうです。

本当は無い縄で自分を縛っていませんか?

思い込みも縄の一つですよね。

鶏はちょっと怖い、気持ちが悪い、近寄りたくない、という縛りが今の私にはなくなったので、自由で快適になりました。加えて、鶏を観察すると面白い!という新しい楽しみを発見しました。

自分を縛り付けているのは本当はありもしない縄、自分自身であることに気づけたら、あとは解放されればよいだけですね!

では、どんな縛りがあるのか、二つの種類に分けてお伝えします。

1.自己肯定感の低さからくる縛り

ありもしないのに自分自身を縛りつける、やっかいな縄です。

「私には無理だから」「どうせできないだろう」「やってもムダになるだけ」。
自分自身の可能性を自ら否定してしまう考え方のクセですね~。

もし興味のあることや、やりたいこと、昔は描いていた夢があるなら、こう自問してみるのはいかがでしょうか?

本当にそうでしょうか?もしかすると自分自身の思い込みで行動や思考に制限をかけていませんか?

2.社会的なもろもろの縛り

【仕事】

会社勤めをしていると、周りの人がこうやっているから、こうしなければって思ってやっていること、たくさんありますよね~。
ご商売や会社を経営されている方でも、こうしなくてはいけない、これはできないんだ、という縛りがたくさん存在していると思います。

何か不自由さを感じたときに、「本当にそうなんだろうか?」「絶対そうなんだろうか?」と考えてみるとよいですね。

【家族】

家庭内でもありますね。お母さんだから〇〇しなければいけない。お父さんだから××してはいけない。長男だから。長女だから、、、。

他のお家ではこうかもしれないけど、我が家では〇〇しなくてもOK!って決めてしまえば、案外簡単に不自由さから解放されるかもしれません。

何かの役割、任務が自分自身の負担になっているな~と気づいたら、家族に相談してみるのも一つだと思います。

例えば、〇〇をしない、と宣言して、本当に他の家族の人たちは悲しむでしょうか?

自分が〇〇から解放されたことで、ニコニコ笑顔でいられるのならば、最初は家族の方も迷惑そうな顔をするかもしれませんが、後には「よかったね~」と思ってくれるのではないでしょうか。

必ずやらないといけないと思っている行事も、案外、自分で縛っているだけかもしれません。

私は娘の3歳の七五三のお祝いはやったのですが、7歳ではやりませんでした。その時、楽しんで行事を行うほどの余裕が自分になかったので、本人と家族にどうしたいかを聞いてみました。
すると、誰もやりたいと思っていなくて、私一人がやらなくちゃ~大変だ~、と気負っていたことに気づかされました。

【生き方】

自分の人生ですもの、どんな風に生きるか、自分で決めて生きていいのだと思います。

家族の期待を裏切るから、愛する人が悲しむから、と人の目線で諦めるのではなくて、自分はこうしたいからと、その人に打ち明けて、愛をもって擦り合わせていくのがよいと思います。

誰かが決めた生き方で、自分が幸せでないと思う人生を生きているとしたら、その縛っている縄が自分自身なのではないか、と思いをめぐらしてみるとよいのではないでしょうか。

Happiness is a birthright.

誰でも、この世に生まれてきたときから、幸せになる権利を持っています。

世間の常識といわれるものは他人の価値観です。
そして、自分を幸せにできるのは自分の価値観だけです。

独身だからどうだとか、夫婦だからこんな風に暮らさなければいけないとか、収入はこうあるべきとか、歳をとっているからどうだとか、他人の価値観をそのまま自分のものだと思い込まないこと。

自分を縛っている縄は自分で作っているだけかもしれません。

それに気づいて、自分でその縄を解き放てば、自由で心からやりたいことをやれる、満足のいく人生になるのではないかと思います。

どうすれば縄を切れるのか?

今まで述べてきた自分自身の思い込みや社会的常識の縄をブチっと切って、自由になるにはどうしたらよいでしょうか?

まず1の自己肯定感が低いことによる縛りについて。

簡単には思い込みを外せないかもしれませんが、小さなチャレンジを重ねて、小さな成功体験を繰り返すことで、「あれ、私ってできる人じゃん!」という新たな認識が生まれて、思い込みは外れていきます。

これは時間はかかりますが、効果が出始めると、人生が変わるぐらいの影響があるので、ぜひ試していただきたいです。

次に2の社会的な縛りについて。

世の中の常識はヒトとしての社会的な生活、常識的な行動に裏付けされて出来上がった「型」であって、その型が私たちの潜在意識にもはまっているのだと思います。
ですので、その型を外すためには、普段の常識的な行動や思考から離れて行動するのがよいです。

例えば、自分の価値観や常識とはちょっと外れている人の話しを興味を持って聞いてみたり、いつも出かけない場所に行ってみたり、普段はしない行動をしてみる。

簡単なので、誰も見ていないところで、思い切りスキップしてみるのもおススメです。その後でマインドフルに今どう感じているかをしっかり味わってみてください。何か違う感覚が生じているかもしれません。

究極はジブリッシュだと私は思うのですが、日常ではありえない行為、普段は話さない意味のない言葉を話しながら感情表現したり、何かと対話したりしていると、普段はない思考回路が目覚めていき、既成概念が外れていく感覚があります。今まで難しく考えていたことが、なーんだ、これでいいんだ!と解決することもあります。

無縄自縛
ちょっと窮屈に感じたり、不自由さを感じたときに、思い出してみましょう。
縛っているのは自分ではないのか?と自問してみてください。

ありもしない縄なのですから、いざ外そうと決めてしまうと、「なーんだ、OK!これもありだわ~」と楽でHappyになれるはずです。

大好きな大岐ビーチ。人が少ない海は最高♪