【禅語】放てば手に満てり:手放せば、入ってくる
「放てば手に満てり(はなてばてにみてり)」
今は持っていない何かを手に入れたいときに、まずは、握りしめているものを手放さなければ、それを手に入れることはできない。
つまり、大事に何かを握っている、あるいは怖いから何かにつかまっている、そのぎゅっと閉じた手を思い切って開いて、手の中が空っぽになったとき、その空いた手の中に、本当に大切なものが自然と満たされていく。
道元禅師の言葉で、「坐禅修行をして、執着を捨て、心を空にすれば、自然と真理の境地に至れる」というのが本来の意味です。
私は決断に迷ったとき、勇気を出したいときに、背中を押してもらいたいときに、この言葉を思い浮かべます。
禅の言葉は長年語り継がれてきた歴史があり、真理であることは間違いないからです。
ですが、その決断が後でどう転ぶか、もちろんそれが正解かどうかはわかりません。
でも、自分の心が「もうこれは要らない、手放してみよう」と感じているときは、この言葉を頭に浮かべて、「エイやっ!」と掛け声をかけながら、ポンっと手放してみます。
断捨離、ですね。
もちろん、怖いです。でも、手放さないと、入ってきません。
「放てば手に満てり」。
そうつぶやいて、それを信じながら、手放します。
何かに居心地の悪さを感じたり、面倒なルーティーンに辟易したりしたときに、思い出してほしい言葉です。
今手の中に握りしめている何か、その中身をよ~くマインドフルに観察してみたら、結構つまらないものだったりするかもしれません。
つまらない執着だったり、大事に守っているエゴかもしれません。
手放したほうがよいケースのベスト3を挙げてみますので、ご自身に当てはまるものがないかどうか、チェックしてみてください♪
【1】 絶対変えられない、と自分で思い込んでいる習慣
例えば、早起きはできない、低血圧だから。という人は、「私は〇〇なの」と、自分に呪縛をかけていたりします。
朝早起きすると、100万円もらえるとしたら、毎朝、起きられそうですよね。
望ましくない習慣について、変えられないという思い込みは手放す、簡単にはできないので、どうやったら手放せるか、その方法を探してみるのがよいと思います。
例えば、私自身の10年ぐらい前の話しですが、朝早起きできないから、仕事に行く前の朝は忙しくて、近所の緑地を散歩する時間はとれない、と思い込んでいたことがありました。
言葉にすると簡単に聞こえるのですが、コーチングを受けたときに、この事実に初めて気づいたんです。
そしてその翌日から、いつもより早起きして、朝の新鮮な空気を吸って、朝陽に輝く草木の美しさに心を震わせながら、緑地を散歩できるようになりました。
一日の始まりに、素晴らしい朝の時間が手に入ったんです。
私は今でも低血圧ですが、早起きができないとは全く思いません。
【2】 面倒でやりたくないと思うルーティーン
例えば、毎日、仕事や家事、育児などに追われて、時間がなくて疲れ果ててしまう、という人は、思い切って家事を省いたり、白旗をあげて降参してしまい、”できない宣言”を自分にしてしまうのが良いと思います。
自分で思っているよりも、実際は大した影響がなかったりもします。
私は娘の七五三の時に、これをやりました。
3歳の時はちゃんとお着物を着せて、自分も和服を着て、神社にお参りし、親族で写真を撮って、など一通りやったのですが、なかなか大変でした。
5歳の時は仕事や生活が多忙な中、行事の準備をしようと思いつつ、楽しんでいない自分がいました。
娘本人や家族にヒアリングしたところ、行事をやらなければ、と鼻息が荒いのは私だけのようでした。そして、「エイやっ」という気分で、晴れ晴れと行事を手放しました。
その後、そのことについて、誰からも何も言われたことはありません。ナイスな判断だったなあと思いますし、その後、世間はどうであろうが、自分の心が良いと思う選択をするのが正解、という学びになりました。
【3】 ウェルカムでない人間関係
これが3つのうちで一番厄介なのですが、気づいたら、さっさと手放しましょう。
とはいえ、なかなか難しいと思いますけれど。
心当たりのある方は、手放したら、新しい、もっとよい人との関係が手に入りますので、「放てば手に満てり~!」と勇気を出して、手放してみてください。
例えば、仏教の十善戒の一つの「不両舌」に反する人、つまり、人を仲たがいさせるような言葉を使う人は、どんなに面白い人であっても要注意です。
私は今までの人生で、10代の時に一方的に関係を断った友人が二人いるのですが、そのうちの一人がこのタイプの人でした。
そんな人は本当の友人とは言えませんし、トラブルの原因になるので、関わらないのが一番です。
何かがうまくいかないとき、手の中に何を握っているのか、よ~くマインドフルに観てみましょう。
できれば、思い浮かぶことを紙に書いてみるとよいと思います。
何を握っていて、何を手放せば、欲しいものが手に満たされる可能性があるのか。
さらに一歩進むと、ギュッと固く握りしめた掌には、本当に必要な大切なものは入ってこないのかもしれません。
たとえ大切なものでさえも、柔らかい力でふんわりと握っておいて、何かの変化が起きたら手放せるぐらいの執着でいれば、心の安定、心の平和はキープできるのだろうなあと思います。