【身体で覚える般若心経】苦しみを滅する方法は?(後編・第5回)
前回の前編ではブッダが明らかにした真理、「苦しみが生まれるメカニズム」の十二支縁起と「苦しみは滅することができる」四諦についてお伝えしました。
今回は「苦しみを滅する方法」である八正道について学びます。
前回の復習もしながら、西田住職の動画を観てみましょう!
苦しみを滅する方法とは
ブッダが明らかにした「苦しみは滅することができる」という真理。
そして、その方法がある、という真理。
四諦の復習からいきましょう!
苦諦(人生は苦しみばかりだけれど、)
集諦(その原因は自分の中にある欲望なので、)
滅諦(原因を無くすれば苦しみを無くすことができ、)
道諦(その原因である欲望をコントロールする方法がある)
もう、その方法をやるしかないですね!
では、苦しみの原因である欲望をコントロールして滅していく方法をみていきましょう!
コントロールの仕方は八正道と言われ、八つあります。
1.正見:正しいものの見かた
2.正思惟:正しいとらえ方
3.正語:正しい言葉
4.正業:正しい行い
5.正精進:正しい努力
6.正命:正しい生活
7.正念:正しい気づき
8.正定:正しい精神統
うーん、なんだか漠然としていて、理解するのがちょっと難しく思えてきますね~(笑)
でも大丈夫です。
いつものように笑うエクササイズを入れながら、身体で覚えてしましましょう♪
八正道は論理的に繋がっている
ブッダの教えは極めて論理的で、八正道も縁起(論理)にしたがって展開しています。
分かり易い文章にしてくださったものを見つけたので、括弧の中の文章を続けて読んでみてください。
正見(正しい見解が持てるから、)
正思(正しい思考ができる。)
正語(ゆえに正しい言葉と、)
正業(正しい行為をなすことができるので、)
正命(身口意の調和のとれた生活を送ることができる。)
正精進(そうした生活を元に正しい努力を重ねるので、)
正念(正しい自己実現を念じることができ、)
正定(結果、正しい精神統一を完成し、智慧を得ることができるのである)
https://neo-buddhism.com/outline-hassodo/ より引用
言葉を平易に言い換えると、なるほどね~って思えてきませんか?
ではでは、具体例ですが、今回は壮大なスケールにしてみます。
ドラマチックにKINGDOM風な昔の中国を舞台にして、山賊の家に拾われた子供になりきってみましょう!
【事例:野原で拾われて、山賊の親と仲間の暮らす家で育った子供。7歳の頃に売られた先のお屋敷のご主人は人格者で自分の子として育ててくれた】
括弧内はスラッシュの前がBefore(山賊一家だった頃)、スラッシュの後がAfter(お屋敷の子供になってから)です。
それぞれの立ち居振る舞いをイメージしてみましょう!
正見(人のモノを盗んだり殺したりしてもよい/殺さない・盗まない)正思(自分勝手に生きればいい/人や社会のためになれたらよい)
正語(汚い言葉/相手に敬意を払う美しい言葉)
正業(山賊集団のメンバーになる/人のために役立つ職業につく)
正命(心が荒れているのでお酒を飲みすぎてが体調悪く喧嘩が絶えない/心身共に健康で穏やかな生活)
正精進(いつも怠けたい/向上心を持ち努力や勉強を続ける)
正念(楽にお金を取れる旅人がきたらいいな/いつか王になって戦争を止めさせたいと思っている)
正定(以前と何ら変わらない/王にはなれなかったが智慧を得て人格者になった)
いかがでしょうか?
改めて、考え方や立ち居振る舞いなど、影響されてしまうので、自分の周りの環境は大事ですね~。
朱に交われば赤くなる、と言いますが、山賊ほどではなくても、こうなりたくないな~と思う人たちの中に自分を置くことは、リスキーなことがわかりますね~。分かり易いところでいうと、発する言葉や思考法は移りますよね~。
人の悪口をよく言う人の周りには、同じような人が集まって盛り上がっています。
品位の低い人のそばには近寄らない、とても大事です。
美しい言葉、所作の人、相手に敬意を持って対応する人、素敵な思考法や夢を持っている人、それに向けて努力をしている人、そんな人の近くにいるだけで、知らず知らずよい影響をもらうものです。(ご参考まで、禅語「薫習」のページをご覧ください。)
またもや観音さまが、ばっさり!
ここでなんと、前回と同じように、観音様が、、、
お釈迦様の大発見である、十二支縁起、四諦の二つがばっさり否定されます!
無無明 亦無無明尽 (迷いもなければ、迷いがなくなることもありません)
乃至無老死亦無老死尽(老いも死もなければ、老いと死が尽きるということもありません)
無苦集滅道 無智亦無得 (苦しみも、苦しみの原因も、苦しみを抑えることも、苦しみを抑える道もありません)括弧内は福田亮成氏の現代語訳より引用
以無所得故 (それは、得るということ自体がもともとないからです)
「これらは無い」と。
そして、なんと「悟りを得ることもない」と言い切っています! むむ~
「みなさんはどう思われますか?
皆さんの中に手段が目的になってしまっていることってありませんか?」
西田氏
例えば、、、
家族を幸せにするための手段として、お仕事を頑張って働いていたら、いつのまにか、仕事で高給を稼ぐことが目的になってしまい、家族の幸せに使う時間が無くなっていた。
例えば、、、
苦しみのない幸せな人生を過ごすための手段として坐禅に励んでいたら、いつのまにか、坐禅が目的になって、週末のデートを断っていた。
後者の例は私が実際に円覚寺の住職さんに坐禅についてのインタビューをしたときに教えていただいたエピソードです。
そのようになってしまう雲水さん(在家の修行者)がいるが、そうなってしまっては、人生を楽しめない。
つまり、修行の目的を見失ってしまっている、とおっしゃっていました。
心経では悟りを得ることを目的としない、執着しないように、
「無い」と言い切っているのかもしれませんね。
西田氏
西田住職、今回もありがとうございました!
いよいよ次回は最終回を迎えますよ~!
お楽しみに~♪
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