【禅語】放下著:苦しみの種は捨ててしまえ
今夜は満月だな~と思っていたら、皆既月食と重なっていて、貴重な月を観ることができました♪
実は友人が教えてくれるまで知らなくて、見逃すところでした(笑)
テレビを見ないので、ニュースの見出しだけは目を通すようにしているんですが、ここ数日忙しすぎて、それも忘れていました。
今月の禅語は「放下著(ほうげじゃく)」。
ちょっと詰め込みすぎな最近の私にぴったりな禅語です。
「放下(ほうげ)」とは、投げ捨てる、放り出す、捨て去る。「著(じゃく)」は強める言葉で意味はないそう。
放下著を現代語にすると、「投げ捨ててしまえ!」でしょうか。
今朝の朝活『悩みがスッと消える禅の習慣★微笑みヨガ』では手放したいものを投げ捨てる動作で笑いました♪
禅の教えは色々なものを手放すことを勧めますね~(笑)
なぜなのか、どうして放下著(ほうげじゃく)が素晴らしい智慧なのか。
日常生活で何を捨ててしまうのがおススメか、私なりの解釈でお伝えしようと思います。
1.苦しみのもとになる執着は要らない
放下著(ほうげじゃく)の元となったお話しを簡単にご紹介します。
厳しい修行の末に煩悩を滅して自己本来の仏性を体得し、無一物という悟りの境地までに至った僧が和尚さんに尋ねました。
「私は無一物の消息を得ました。これから先はどう修行したらいいのでしょうか」。
すると和尚が答えたのが「放下著」です。
そんな悟りの境地は投げ捨ててしまえ!といったのですね。
煩悩や妄想はもちろんですが、執着の対象となっている悟りの境地さえも手放して、すべての執着を放下せよ、投げ捨ててしまいなさいと。
この僧はすべての執着を手放した無一物という境地にありながら、さらに先の修行について案じていたり、なりたい自分の状態を探して、執着している状態にある、と一喝されたのですね。
なりたい自分の姿を描く、理想の状態や目標を設定するのはとても大事なことです。
ですが、望むものが得られず、理想と現実の間のギャップに苦しみが生まれることがあります。
あれが欲しい、これが欲しい、ああなりたい、こうなりたい、という欲。
仏教ではこれを、心を煩わせ、悩ませる欲、「煩悩」とよびます。
欲しいものが手に入って一時的に満たされても、またその次にもっとよく見えるものが欲しくなり、際限がない状態が「執着」です。
何かを手に入れて嬉しい、心地よいと感じ、もっともっと欲しくなってくると、それが手に入らない状態になった時に、辛く苦しい、不快な感覚がもっともっと大きくなる、つまり煩悩と苦しみは表裏一体なのですね~。
煩悩は執着を生じさせ、苦しみの原因になるため、煩悩を滅することをブッダは推奨しています。
ですが、誤解がないように付け加えると、極端にストイックになる必要もなく、苦行と快楽の間、ほどほどにバランスのとれた「中道」の大切さも説かれていて、私たちが幸せに生きるにはこの「中道」なのだと私は思います。
そしてブッダは「より良く生きよう、人のためになろう」という”意欲”については全く否定していません。
私が禅語「放下著」のお話しに思うのは、その純粋な意欲でさえも、いつしか執着に変わり、自分を苦しめることがあるんだよ~、ということです。
このことを、真面目で頑張りやさんの方には覚えておいてほしいな~と思います。
真面目な人ほど、善き目標に向かって努力して、辛い状況に耐えていたりしますが、少し俯瞰で眺めてみて、その執着を捨てたほうがよいのかも、と思いを馳せてみることも大事だと思います。
私自信の経験なのですが、叶えたい夢の目標設定をして、ちょっとハードな計画どおりに、毎日の生活をバリバリ、ゴリゴリ進めて実践してみたときがありました。
三カ月ぐらい経ち、確かに色々とはかどり、計画通りに目標へ向かって進んでいましたが、毎日がちっとも楽しくないのです。
計画に縛られて、精神的にいつも追われているような、心に余裕がない自分になっていました。
本当に心の底からやる気と意欲がわいているときは、ハードワークでも楽しくこなせるものです。
楽しめていないのは、何かが間違っている。
これは幸せな人生を生きたいと思っている私のひとつのバロメーターになっています。
そこで、予定していた半年先までの計画はポイっと捨てました(笑)
そして方針変更をして、楽しんで続けられるものに変えました。
自分の人生ですもの。やりたいようにやればよいです。
努力すること、頑張って辛さに耐えて継続することも必要です。
ですが、自分の状態に気づける力、バランス感覚を失わないで内省できる力、本質を見失わない力を養うことも、とても重要だと思います。
2.縛られて苦しくなるものは要らない
執着とはまた別の種類の、捨ててしまったほうがよいものとして、自分を制限するものがあげられます。
この縛りは往々にして自分自身で作っていることがあるので、詳しくは禅語「無縄自縛」のページをご覧ください。
放下して捨てるべきものとして、この縛り、制限するもののなかから、特にお伝えしたい二つをピックアップしてみました。
【1】〇〇でいなければならない、という思い込み
例えば、家族が〇〇と思っているから、私は〇〇でいなければいけない、という思い込み。
〇〇が世間の常識だからと思っていても、意外と自分で思い込んでいるだけのこともあります。
思い切って家族に話したら理解してくれて、応援してくれた、というような話しを聞くことも。
家族のために我慢しているつもりが、小さなストレスや不満がたまって、結果的に家族との関係を悪くしてしまうこともあります。
特に小さいお子さんを育てながらお仕事をしているお母さんには、思い込みを外して、無理しすぎないで、まず自分をHappyで満たし、太陽のように微笑んで家族を照らす存在になってほしいな~と思います。
常識やあたりまえと考えられている枠組みに縛られて、苦しいな~、と思ったら、がまんや忍耐を続ける前に、よくよく考えてみて、思い切って何かを手放せるかどうか、確認してみることをおススメします♡
【2】大事にしている自意識やプライド
強すぎる自我や自意識、プライドも他人の目線を気にしますので、自分を縛って制限することに繋がります。
ついでにお伝えすると、心の中にこれがあると、自分を縛って制限するだけでなく、常に他人と自分を比較して一喜一憂して心が休まらないですし、他の人にとっては何でもない状況であっても反応して馬鹿にされたと感じたりします。
人間関係に影を落としたり、悩みの種になりますので、これらは手放したほうがずいぶんと楽に生きられます。
ちょっと難しい話しになってしまいますが、自意識の中には公的自意識と私的自意識と二種類あります。
公的自意識とは他人目線で自分をみる意識のことで、公的自意識と羞恥心は相関関係にあります。
つまり、公的自意識が大きいと、羞恥心も大きくなり、羞恥心に縛られて、ご自分のありのままを認めたり、解放することが苦手だったりする傾向があります。
私の主催している朝活の「意味がない言葉を話すジブリッシュ」では常識からみれば変な言語をしゃべり、変な動作をしますし、「微笑みヨガ」では体操として笑いますので、他人の目に映るご自分の姿が気になって、ワークに集中できない方もいらっしゃいます。
恥ずかしいというお気持、よ~く分かります。
私もオンラインを始めたばかりの時に、初めてお会いする方々のいらっしゃる画面の前で、大きな口をあけたり、変な顔をしたりするのには抵抗がありました。
ですので、「え~、勘弁してほしい~!これは私はやらない、無理だわ~!」って思うお気持ち、よくわかります(笑)
そのような方には無理をなさらないよう、誘導しています。
そしてしばらくすると、参加者ご自身の感想としてもよくお聞きするのですが、ある瞬間に、吹っ切れる時がやってくるんです!
自分にOKを出すような瞬間が。
「OK、やっていいよ。やっちゃいなよ!そのこだわり、美しく整って見えていたい自分、捨てちゃいなよ!」という瞬間がやってきます(笑)
すると、ご自分の動作に制限をかけていたものから解放されます。
そして、その後の伸び方と言いますか、変化の曲線が素晴らしいんです!
今ままでとは目つきが変わって、キラキラした目になっていきます。
そんな変化の場面に立ち会えたときは心から嬉しく思います♪
自分を縛っているものを捨てることができるのは、ある意味、最強ではないか、と思います。
なぜなら、縛られているのは苦しいからです。
その苦しみを減らす力を手に入れられる。
「放下力」とでも名付けたい力です。
なんだかな~、苦しいな~、と感じたときには、俯瞰で状況を把握して、執着やこだわり、縛っているものが何なのかを見つけてみてください。
捨てられるものがあれば、投げ捨ててしまいましょう!
このブログが誰かのお役に立てたら嬉しいです♡
毎月、第二火曜朝6:30~、オンラインで禅語をテーマにした朝活、笑う動作など身体の動きを使って心のクセを変える『悩みがスッと消える禅の習慣★微笑みヨガ』を開催しています。
日常生活で使える智慧を禅語でラベリングして、笑って楽しみながら一緒に覚えていきます。
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