【ジブリッシュ】心を震わせる感性を磨いて魅力あふれる毎日に

今朝の『ジブリッシュで感性を開く朝活』でとっても嬉しいことがありました。

初めてのご参加で、ジブリッシュも笑いヨガも全くやったことがないという方だったのですが、最初はちょっと戸惑いを感じていらっしゃるようでしたが、だんだんとのびのび動いて発声できるようになりました。

そして、最後に最高の自分を感じるパートで、実現したい願いが叶った状態をイメージして喜ぶワークを画面から離れてやっていたのですが、戻ってきたときに、嬉しい涙が止まらなくなっていらっしゃいました。

感情に没入できたその方の素晴らしさ、ジブリッシュの素晴らしさを感じると共に、ああ、この方が本当に夢が叶って涙しているところに居合わせたいな~、一緒に喜びたいな~という気持ちが湧いてきました。

感動している人をみると感動しますけれど、自分や他人と区別している境目のようなものは、あるようでないのかもしれない、言葉にすると伝えにくいのですが、そんな深いことに思いが及びました。

ヨガと瞑想で深い体験をしていたころに、自分が身体を超えて大きくなっていくと、他人との境界線が曖昧になって、ひとつに繋がっているような感覚がある、というような話を、うっかり飲み会の席でポロっと話してしまって、不思議ちゃんになりたくないので、以後この話しは封印していましたが、やっぱりOnenessというんでしょうか、ひとつに繋がっている感覚をふとした時に感じることがあります。

感性が違うと見えるものが違ってくる

感性とは感じる力。あたりまえですが、感じる力がないと、感情が生まれないですよね。

例えば、机の上にブーケが飾ってあったとしましょう。

「赤と白のお花で作ったブーケがあるなぁ。」以上。となるかもしれません。

「うわ~、素敵!」「赤いバラはいい匂いがしそう!ロマンチックだわ~♪ギュッと詰まった花びらは何枚あるのかしら~」「白いスイトピーは繊細で薄い花びらが可憐!日の光に透けるともっと素敵♪」「このグリーンの元気のよい自由奔放な活け方は面白いわね~!」などなど、感じられることはたくさんあるかもしれません。

同じブーケをみているのに、人によって見ているものが違う。

つまり、違ったものをみているんですね~。

せっかく美しく咲いているお花。もうしばらくしたら散ってしまう儚い命の輝き。

こまやかな感性を育てることで、ひとつの小さなブーケを何倍にも楽しめるのではないかと思います。

自分の中にあるものしか、対象物に見ることはできない

ずいぶん前のことですが、歩道の向かい側から歩いてくる会社の同僚が、とっても清々しくて素敵に見えたので、すれ違うときにそのことを伝えたら、「それは私じゃなくて、さとちゃんの心の中にあるものよ」と言われました。

その時は何をいわれているのかピンとこなかったのですが、自分自身の心の中にあるものしか、見ている対象にそれを感じることはできないだと今では思います。

清々しい、軽やかで素敵な彼女を見ることができたのは、私の心の中に、清々しくて軽やかな気持ちがないと、それをそのままに感じることはできないのではないかと。

例えば、私がどろどろとした負の感情を抱えながら歩いていたら、彼女の清々しさを見ることはできなかったでしょう。

このことについて確信したのは、瞑想合宿があけたときの体験です。

いつもの通勤時間に見た、稲村ケ崎の上の空に浮かんでいる雲の色があまりに神々しくて、美しすぎて、涙がとまりませんでした。

自分はこんなにも美しいものを毎日見ていて、この美しさに気づくことができなかったんだと。

本当の自分が持っている感性に殻をかぶせて、蓋をして、守りながら生きてきたんだな~と、気づきました。

日常生活には必要な殻でもあるんですけれど。

時と場合に応じて殻を外して感性を研ぎ澄ませることができるようになると、もっと繊細な美しさや喜び、情緒を感じられるようになって、生活や人生が奥深くて楽しいものになるのではないかと思います。

子供の頃の感性に戻ってみる

誰でも小さな子供の頃はバッキバキの(という表現がふさわしいか微妙ですが)、キラッキラの感性の持ち主でしたよね。

小さい子供の感受性はこんなリアクションに現れています。

「へ~ なにこれ~!」

「うわ~ すご~い!」

「ほほ~ おもしろーい!」

これを大人もやればいいのです(笑)。

先日の日曜の『微笑みヨガ鎌倉』では、ジブリッシュ(ゼロ言語トーク)で子供の頃のような体験をしました。

大人になると全くやらないこと。普段の自分だったら絶対にやらないことをあえてやってみました。

意味がない言葉を話しながら、畳の上を転がりながら、手足を自由にバタバタと動かしてみる。

柱を触って、すべすべな表面を感じる。

障子に日が透けるのを観察して驚いてみる。

壁の掛け時計を指さして、すごーい、うごいてるよー(というのをジブリッシュで)言って、どれどれ、と二人で一緒に眺めて見てみる、などなど。

意味がないことをやっていると、だんだんと、意味がないことの自由で面白い側面に気づいていきます。

本来の「あそび」とは、意味がないところに生まれるもので、それが人生を豊かにしていく起点になるように感じます。

大人だからこそ、意味がないことの価値に気づかされます。

1月30日(日)は130、イミゼロの日。

『ジブリッシュ祭り』をオンラインで開催します。参加費無料。

意味がないことを一緒に楽しみましょう♪

同じブーケでも、見る人の感性により
違うものが見えている