【禅語】「無功徳」 見返りを求めない純粋な行いに価値がある。その理由とは?

今朝のクラスのテーマは「無功徳:むくどく」。深~くて、なるほど~と思う言葉です。

功徳とはご利益(ごりやく)のこと。
禅の開祖の達磨大師が仏門に熱心な武帝に言った言葉だそう。
武帝はお寺を経てたり、僧を育てたり、写経をしたりしていたので、「この先に私にはどんなよいことがあるでしょう?」と聞いたところ、達磨大師は「無功徳」、つまり「何もない」と答えました。
なぜなら、素晴らしい「目的」のための行為が、見返りを求め始めると、せっかくの善い行いも「目的」ではなくて、見返りを手に入れるための「手段」になり下がってしまうから。
知らず知らずに、「目的」が「手段」にすり替わってしまう?!
キャ~!怖くないですか?
例えば、大好きな人の喜ぶ姿が見たくて世話を焼いていたのに、ふと気づくと、もっと愛してくれないと嫌だとか、こんなにやってあげたのだから、私の喜ぶこともして欲しい、、、などと思い始めたら、もう、それは純粋で素敵な愛の気持ではないですね。
ぞ~っとする怖い話しですけど、あるあるかもw!
人間関係でも、仕事でも、やりたいと思った時だけではなくて、やらざるを得ない行為もありますが、「やろう」と決めてやり切ったら、後はスパッと爽やかに、何の見返りも求めない!スッキリ、やりきった清々しい気持ちを感じて、終わり。
その素晴らしい行為をしていること自体に意味がある。自分自身にとってのご利益があるからです。
私もヨガやブッダの教えに出会うずーっと前は、ボランティアなどの奉仕は「人のため」にするんだと思っていました。今は人のためではなくて「自分のため」にする、ということがよーく分かります。
つまり、人が幸せになってくれる、そこに自分の喜びが生じるので、自分のために役立つ行為をさせていただいている。マズローの欲求ピラミッドの一番上、「自己実現欲求」のパートを満たしてもらっているんです。
それに、「無功徳」の主旨とは少しずれるようでいて、本質的に一緒のことなのではと思うのが、『Give&Take』という本で心理学者のアダム・グラントさんが述べている”利他的な行いをするGiverが長期的に成功を収める結果になる”という事実。
行為の見返りを求めるTakerは、短期的には良さそうに見えても、Giveを続ける人徳のある賢い人物のほうが成功するというのは納得できますよね。
1.素晴らしい目的が、手段になりさがっていないか、気づきをもってチェックする。
2.ちょっと大変なことを誰かのためにやった時、見返りを期待しない。やりきった、晴れ晴れとした気分を味わう♪
今朝のクラスではラフターエクササイズでこの二つを体感し、チベット瞑想のひとつ、トンレン瞑想(誰かの苦しみ・痛みを引き受けて、癒しの光に変えて与える)をやりました。
皆さん、気持ちよかった~と言ってくれました♪嬉しい♡
「無功徳」はお宝ワード♡
達磨さん、どうもありがとう!